最先端?アクセサリー作家

昔、絵では全くの無収入に近いので、アクセサリーを作っていた。
当時、今ほど手作り作家もいなかった上に、置いてくれる店がチラホラあり、たぶん1万個ぐらいは売ったのではないだろうか。
電車で向かい合った女性が私の作ったブローチを付けていたり、遠く離れた街のリサイクルショップに自分のアクセサリーが置かれていて、驚いたこともある。

今は、一応就職してカタギの身だけど、アクセサリー作りがしたくなり、最近作っている。
作ると言っても、型を作ったり、表面処理をしたりするだけで、原型と着色は家族に頼んでいるので、プロデューサーというところだろうか?

私のアクセサリーのこだわりは、程よく可愛く、十二分に強度があること。たくさん作ったけれど、売る当てもないので、部屋を占領してきている。

初めて売れた作品

22歳ぐらいの時、半年掛けて描いた絵を、とある画廊のオーナーが6万円で買ってくれた。
異常に描き込みすぎて、何が描いてあるかも不明な作品。素人感、徒労感のある作品に、画廊オーナーは同情したのかもしれない。

しかし、残念なことにその後、その奇特なオーナーは破産し、行方知れずとなった。

さらに10年ぐらいすぎた。
人づてに、私の作品がとあるヤクザ事務所に飾られていると聞いた。
差し押さえた画廊の作品から、私の作品を気に入って選んでくれたのか、価値があるものと勘違いしたのかもしれないが、どちらにしても、うれしかった。

絵がさかさま

若い時の話だけれど、名古屋のラブコレクションギャラリーという画廊で何度か展覧会をしていた。

ラブコレクションギャラリーは、当時非常にオシャレでハイセンスな雰囲気のギャラリーで、名古屋のアートシーンでそれなりのポジションの場所だった。基本は貸し画廊だったのだが、なぜか私は企画展を開いてもらっていた。

そこで展覧会をすると、メディアにも取り上げられることがあり、ある時、雑誌の取材を受けた。
インタビューを受け、私は自分の芸術哲学を語り、私の渾身の作品の写真を記者に手渡した。

後日、掲載雑誌が届けられた。
記事は確か『この絵何に見えますか?』というタイトルだった。
記者は、私の作品に何が描いてあるのかさっぱりわからず、その様なタイトルをつけたのだ。
さらに掲載された作品は上下反対だった。(何が描いてあるかわからないのだから仕方がない。)

私の思いは空回りして、人に届かないことが多い。